小鳥のさえずり。暖かな風。移ろう日差し。そして舞い散る花びら。どれもみな「花がすみ」と称される皇宮を映えさせるものだ。やわらかな空気は、都の安寧をたたえているようでもある。
だがシェンイエは、その場に似つかわしくないため息をついた。
――騒がしい。
心中で悪態をつきながら、少女は足早に廊下を歩いていた。カッカッと穏やかならぬ足音に、通りすがりの官人が何事かと振り向くが、シェンイエは彼らをすべて無視していた。
――だいたい何なんだ、あの男はっ!
歩いている内に、あの呑気な男のことが思い起こされ、彼女は思わず地団駄を踏んだ。あの男――フェイがこの皇宮に来てからというもの、どうにも騒がしい。そう、シェンイエは思う。皇宮自体は平穏であっても、取り巻く空気がそうではない。そしてそれはフェイのせいだ、と少女の憤りは彼に集中していた。
「あ、シェンイエー」
肉親以外に自分を呼び捨てにする人物に、一人しか思い当たらない。シェンイエが振り向いた先にはやはり、今しがた悪態の対象になっていた男がいた。
何だ、と問おうとして、シェンイエは口ごもった。
手すりにもたれている彼の周りには、小鳥が二、三羽ほど飛んでいる。そして、ときおり移ろう光が見えるのは――おそらく精霊の光だ。彼の周りは、やわらかな日溜まりになっていた。
フェイは、よく動物に好かれる。人間以外のものと交流する力、それはこの都では重宝される。その力の証である、生まれついての白髪は――彼の生まれた土地では禁忌とされたらしいが――シェンイエには神秘的なものに見えた。
(さすがは、証人【あかしびと】か)
悪態をつきたくなりながらも、シェンイエは思った。
この国の帝位継承者はみな、神に誓いをたてなければならない。そしてフェイは、神の一柱に仕える証人だ。この呑気な男でも、継承者のシェンイエにとっては、要人ということになる。だが。
――騒がしい。
シェンイエは思わず頭を抱え込んだ。そう、騒がしいのだ。この男が何を考えているのか、シェンイエには分からなくなるときがある。肝心なことをはぐらかすくせに、妙になれなれしい。そのうえ――
「ど、どうした? シェンイエ」
「何でもない……」
いきなりしゃがみ込んだ彼女に、フェイが駆け寄る。シェンイエは疲れ果てた口調で返し、立ち上がった。
そのついでに、シェンイエはフェイをじっと見た。普段はやたらと胸元の開いた服を着ているのに、今日は詰め襟の服を着ている。何だか見慣れない。
ああ、だからだ、とシェンイエは思った。騒がしい。この男が来てからというもの、うるさいぐらい女官たちは色めいている。彼のように東西の血を受け継ぎ、均整の取れた顔は、この辺りでは見かけないから余計だ。
この男は、騒がしい。そのうえ、周りの空気も騒がしくする。
「シェンイエ?」
じっと見られていることに疑問を持ってか、フェイが問いかける。「どうしたんだよ」シェンイエの手を握り、顔を寄せてくる。シェンイエは驚いている間に、逆に見られる格好となった。
「……気安く、触るなっ……」
「へ?」
この男は何かにつけ、やたらと自分に触れてくる。シェンイエは動揺を悟られないように、短い言葉でしか返せなかった。彼女の意識は、自分の手を覆う大きな手に向かってしまっていた。
「あ、熱でもあるのか? 何だか顔が赤い」
「ああもう、うるさい! 気にするな!」
「ぶっ」
空いた方の手で、彼の顔を押しのける。納得いかないと言いたげな彼を尻目に、シェンイエは足早にその場を去った。
――騒がしい。彼に振りまわされている、自分が。それを否定できないことに、シェンイエは苛立っていた。
End.
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